年末年始の村雨夫妻について
真顔でそう宣う村雨先生の心情は推し量れないが、言いたいことは十分に伝わった。ふふん。わたしも〝村雨礼二の妻〟が板についてきたのでは? ふっ。やっぱり〝村雨礼二の妻〟ってワードはパワーだな。何度噛み締めても味がする。
「また碌でもないことを考えているな?」
「わたしが考えていることの大半は、①村雨礼二のこと。②ロクでもないこと。の2つですよ」
「誇らしげにするな」
ピースサインを眼前に突きつけると、村雨先生は鬱陶しそうに顔を背けた。首を傾げた際にしゃらっと揺れるグラスコードがセクシーだ。首筋の血管がまたいいのよ。口の端にわずかについたカレールウさえ愛おしい──と思っていたら、スッとナプキンで拭われてしまった。ああ、わたしが「ついてますよ」って拭いてあげたかったのに!
ハロウィンが終わってからというもの、クリスマスを待ち構えるように、街は早着替えを済ませていた。街路樹が纏わされたイルミネーション。歩道に立ち並ぶクリスマスメニューの看板。忘年会の予約を促す店内広告。まるで歩いているだけで何かに急かされているようだ。
先生が視線を向けた窓の外には、サンタクロースのバルーンがふにゃふにゃと膨らみつつある。十二月もきょうからというのに、名物のバターチキンカリーを早々に平らげた先生に追いつくように、わたしはスプーンを動かしながら答えた。
「当直セットは多めに用意しておきますね。帰省日は改めて伝えるとして──あ。まるっきり1日にも家に帰らないわけじゃないですよね? 先生のオアシスとしてお汁粉とお雑煮注文しておこーっと」
「ああ。そうしてくれ」
「それから、クリスマスデートしましょ!」
「だから、クリスマスは不在だ。イブもいない」
「だ、か、ら。いまのうちにクリスマスっぽいデートしましょうってことですよ。なんのためにクリスマスマーケット期間がこんなに長いと思ってるんですか」
「資本主義による季節商戦のためだ」
「わたしたちのような、クリスマスを一緒に過ごせない新婚夫婦のためです!」
村雨先生はたっぷり2秒考えたあと「なるほど」と頷いた。珍しくわたしに説得されたのか、それとも会話を切り上げたくて適当に相槌を打ったのかはわらからないけれど。
「グリューワインが飲みたい」
「先生、2杯飲んでくださいね。わたしもカップがほしいので」
「ひとつで良いだろう」
「おそろいの記念にしたいんですー!」
「クリスマスケーキは?」
「いつ食べたっていいんですよ! ブッシュドノエルを毎週買って店員さんを怖がらせましょう!」
そんな風にやんややんやと話して、有言実行した。 都内のクリスマスマーケットを練り歩き、チキンを焼き、たまにはケンタッキーを頬張り、毎週のようにケーキを買い、一緒に楽しく〝クリスマス〟を過ごした。
クリスマスが25日だろうが何日だろうが関係なかった。
わたしは〝今年はたいへん良いクリスマスだった〟と胸を張って答えるだろう。
////////// 12月26日の朝。
目が覚めると村雨先生が横にいた。
久しぶりに夜に帰れたんだ。少しの驚きと大きな安堵。目の下のクマはより濃くなり、伸びた青髭をしょりっと指でなぞった。眉根が寄り、起きる気配を感じたので、しまったと思いつつ労わりの気持ちを込めて優しく頭を撫でる。
「おはようございます。少しは眠れましたか?」
「クリスマスとは12月25日のことだ」
「え? あ、はい。異論はありませんが」
「私は昨夜23時49分に帰宅した。あなたはすでに眠っていたが、〝クリスマスをふたりで過ごした〟と言っても過言ではない事実だ」
いや……事実であっても過言です、それ。
「11連勤の私を褒め称えろ。撫でろ。労われ。一時間後には家を出る。朝食はホットサンドにオレンジジュースがいい」
わたしは先生を強くハグして撫で回しながら感謝と労りと尊敬の言葉を立て板に水のように並べつつ、頭の中で一時間後に先生を送り出すオペレーションを組み立てていた。
「次に帰るのは、おそらく松の内が開けた後だ。もし都合がつけばあなたの実家に挨拶に行くが、期待はしないように」
そんな釘をさして、村雨先生は出勤していった。
たった11分のクリスマスのために帰宅してくれた先生の、神経質と言ってもいいような気遣いに感謝する。
朝食の片付けをして寝室の掃除をしようと布団を捲り──そこに先生からのプレゼントらしき包み紙が置いてあることに気づいて「ぎゃっ」と声をあげた。
せっかく先生にクリスマスプレゼント用意してたのに!
細切れに何度も行ったクリスマスデートの際に、プレゼント交換ももちろん行っていた。でも、それとは別に本番用も用意していたのだ。くくく村雨先生め、あれでプレゼントが終わりだったと油断してるだろうな──とさえ思っていたのに。いつ帰ってくるかも分からなかったから、クロゼットのなかに置いたままだ。見事に出し抜かれてしまったような気持ちになりつつ、包み紙をひっくり返した。
そこには、メッセージカードに几帳面な字で「あなたからのプレゼントはもらっておいた」と書かれていた。
──村雨礼二、斜め上の上を行くなぁ。桂馬か?
////////// さて。
今度は元日の未明頃に村雨先生から着信があった──らしい。「らしい」というのは、わたしが大いに寝ぼけていたからで、かすみのような記憶しか残っていないからだ。いや、3時24分にかかって来た電話にちゃんと出た妻の反射神経を褒めてほしい!
翌朝になり通話時間5分程度の記録を見て、わたしは大いに首を捻り、大いに青ざめた。村雨礼二に新年の挨拶をしたのか、ちゃんと対応できていたのかわたしは!? そこだけが気がかりなのに、思い出せない。 わたしは何故か痺れている足を伸ばしながら頭を抱えた。
──1月1日 03時24分
〈あけましておめでとう〉
「……おはようございます」
寝正月を決め込んでいたわたしは、寝ぼけた声で応えた。
〈あけましておめでとう〉
「ふあ、はい。おめでとうございます」
録音かな? 夢かな? 初夢って1月1日の夜に見る夢じゃなかったっけ。思わず布団の上で正座し、深々と頭を下げながら新年の挨拶を述べた。
〈それだけだ〉
「あぃぃ……ご苦労さまでありましゅ……ええとぉ……」
〈……〉
「せんせぇ?」
〈なんだ〉
「今年もぉ、よろしくお願いしましゅねぇ……」
〈──ああ。今年もよろしく〉
それから電話はふつりと切れた。わたしは正座から上体を倒した状態でぐうぐうと二度寝を決め込んだのだった。──しかし、それを数時間後のわたしはポカンと忘れていた。
////////// 「先生ーっ!? お電話に出ていただきありがとうございます!! 明け方に着信あったみたいなんですけど!! すみません完全に寝てまして!! 何にも覚えてないわたしです!!申し訳ないのですがもう一度ご用件をうかがってもよろしいでしょうか!?」
〈──用件はもう済ませた。特に言うことはない〉
「そんなこと言わないでくださいよぉ〜!!」
〈用件はもう済ませた。特に言うことはない〉
「いじわる!! わたし本当に思い出せないんですからね!? このままじゃ新年の挨拶がしたくて通話かけただけになりますよ!?」
〈そうか。そうだな〉
「はい?」
〈今度は忘れないように。明けましておめでとう。今年もよろしく。やはりしばらくは帰れん。今後のスケジュールは追って伝える。以上〉
わたしの返答を待たずに通話は切れた。
……で、結局なんの用件だったんだ? 新年早々、わたしはこの大きな問いに首を傾げた。